ことわざの最近のブログ記事

中国の最初の書物と言われる「易経」は紀元前700年頃に成ったとされています。一方、日本で「古事記」が成ったのは712年ですから、その間、実に1400年の開きがあります。

又「臥薪嘗胆」の呉越が争ったのは紀元前495年前後の話しです。

このように中国と日本との歴史の差はおどろくほどです。

さて、釣り好きの人の別名「大公望」の話も周の時代(BC1050?~BC256)のことです。この人は「呂尚(ろしょう)」という名なのですが、渭水(いすい)で釣りをしていて、そこを通りかかった周の文王に見出され、文王の先君の大公が望んでいた人物として「大公望」と呼ばれたところからきています。

又、この史実をふまえて、江戸時代の川柳に「食いますか、などと文王そばにより」があります。(ということは、江戸の庶民はこの史実を知っていたということにほかなりません)

この呂尚の話しでは、日本では以下の話しが有名です。

呂尚が釣りと読書ばかりして、生活が困窮しているのに堪えられず、妻の馬氏(中国は昔から夫婦別姓)は自分から離婚して、呂尚のもとを去ります。

ところが呂尚が文王の死後、武王の補佐して殷(いん)の紂(ちゅう)を討つような活躍をします。このような功績もあって、彼は大出世をします。

これを知って別れた馬氏は呂尚のもとを訪ねて復縁を求めます。

すると呂尚は盆(日本のものより深い器)へ水を満たしてから、それをすべて地上にこぼします。そして「もしこの水をすべて盆に戻すことが出来たなら復縁しよう」と言います。しかし、水は土に吸われていますから、これは不可能です。

この故事から「覆水(ふくすい)盆に返らず」という言葉ができて、中国語でも「覆水難収フースイナンショウ」として、今でも使われます。

しかし、私の個人的感想としては、水をこぼしておいて、それをすくわせるなんて、かなり意地悪のような気がしますが、皆さんはどう思われますか。

そんな要求より、呂尚ほどの人なら「僕を20歳の若者に戻してくれたら君ともう一度やり直そう」なんてセリフが有ってもいいような気がします。

だが、このセリフ「18の娘に戻れるなら、いつでも貴方と別れます」のパクリですね。

|

この四字成語は中国を表す言葉として中国人もよく口にしますし、日本でも使われています。日本語では「ち(じ)だいぶっぱく」と読むようですが、不思議な事にこの読みでは広辞苑や大辞泉には載っていません。してみると、この言葉はまだ日本語としては認知されていないようです。

大事なことを忘れていました。意味は「土地が広くて物産が豊富である」ということです。確かに中国(チベット等を含む)の面積は日本の25倍強ですから大きな国です。

しかし産物が豊かであるかどうかは、大きな疑問があります。

ニュースとなった「レアアース」のようなものは、今のところ、中国が命運を握っているかもしれませんが、耕地面積は世界の10%弱で、人口は世界の20%ですので、例の一人っ子政策で人口増加を抑制しています。

それから「湯水のように使う」という言葉を持つ日本人からは、想像がつかないことですが、中国の水不足は大変に深刻です。かつて何度も氾濫を起こした黄河は、今では見る影もない水量です。

このように食料以外にも足りないものが、数多くあるので、中国は「地大物博」ではなく、同音の「地大物薄」と自嘲する中国人もいます。

そして所得水準にしても、日本に遊びに来て「爆買い」をする中国人も沢山いますが、飛行機に乗ったこともない人も、おそらく日本の総人口以上いるでしょう。だから中国人全部の生活水準が日本人のそれに達するのが、何時になるのかは、中国人自身も解答できないのではないでしょうか。

 

|

 少し事情がありまして、長い間発信を休んでいましたが、今月からまた始めますのでよろしくお願いします。

実は昨年、浅学菲才も省みず、中国語の諺に関する本を出版(といっても通販のみ)しまして、今年もその続編を出す予定で現在進行中です。

そこで今回からその中から中国語を御存知ない方にも、興味を持って頂けそうなものを、いくつかご紹介したいと思っております。

その1回目としてこの「文章是自己的好ウェンジャンシーズジーダーハオ」ですが先ず語句の説明を致しますと

「是ミー」は英語のBe動詞に相当して「~です。」の意で「的ダ」は助動詞として「の」で、「好ハオ」は好き・好む」ではなく「良い」の意味です。

これで「文章は自分のが良い」となります。

これだけですと単なる「うぬぼれ、自慢」だけで面白くないのですがこれに対句(中国人はこれが大好き)が付いています。

それは「老婆是人家的好」といいます。

「老婆ラオポー」は「老婆」ではなく、コロンボ刑事がよく口にした「(うちの)かみさん」の意味です。

「人家レンジャー」は「他人、他人さま」のことです。

そこで全体として

「文章は自分のがよくて、かみさんは人さまのが良い」となります。

「手前味噌」.と「隣の芝生は青い」をワンセットにしたあたりまさに中国らしい諺と言えます。

さらに世の奥様方からもっとお叱りを受けそうな諺を次に揚げますと

「家花不及野花香」というのがあります。

これは「野花イエホワー」が「.妻以外の女性」の意味と分かれば説明は不要ですが、書いた私を責めずにこの諺を作った中国人(男性)を責めて下さい。だから私は「文章是人家的好、老婆是自己的好」と(無理にでも)思うようにしております。

なおテレサテンに「路辺的野花不要採ルービエンダーイエホワープヤオツァイ」という中国ではよく知られた歌があります。

 

 

 

 

|

私は牛年生まれですか、今年の干支(えと)の馬に比べて、どうも牛は評価も低いようです。諺の世界でも「牛を馬に乗り換える」と言って辞書では「不利な方をやめて、好都合な方に便乗することのたとえ」としてあります。

干支の本場の中国の四字熟語を見ても、私の持ってる中日辞書では、馬が出てくる成語は全部で41もあるのに、牛のものは15しかありません。

この数多い馬に関する成語のうち、日本語になっている、塞翁が馬(塞翁失馬)や意馬心猿(心猿意馬)などでなく、日本語となっていないものの中から面白いものを二.三挙げてみます。

 「馬到成功マータオチャンコン」

軍馬が到着すると直ちに戦に勝利すること。転じて着手すればたちどころに成功する意。馬年にふさわしい目出たい文句ですので今年の年賀状や中国の商店街やホテルなど至る処でこの文字を目にしました。

「老馬識途ラオマーシートー」

これは管鮑(かんぽう)の交わりで有名な、管仲の智略からきた成語です。それは管仲の軍が他国に遠征したが、帰途に季節も変わり道が判らなくなった。そこで何頭かの老馬の手綱を離したところ

馬は無事軍隊を導いて帰国出来たという故事です。これから「老馬は道を知っている。転じて経験を積んだ人はその道に詳しい。」の意味で使われます。この諺は、私のように徒らに馬齢を重ねた人間には耳の痛い話です。

「騎馬找馬チーマージャオマー」

ウマに乗っていながらウマを探す。転じてすぐ近くにあるのに気づかず遠くを探す。の意です。「青い鳥」の話しともとれるし、好い奥さんがいるのに、他にもっと好い女がいないかと、浮気を重ねる人に当てはまるかもしれません。

 

 

|

  「縁は異なもの味なもの」という諺があります。この言葉は主に男女の結びつきに使うようです。だが中国にはもっと使用範囲が広い「有縁千里来相会、無縁対面不相識」というのがあります。

これは「縁があれば千里離れていても会うし、縁が無ければ目の前にいても知り合うこともない」です。流石中国らしい対句を使った文学的表現です。さらに「千里姻縁一線牽」があって、これは「姻縁があれば、千里離れていても一本の(赤い)糸で繋がっている」というものです。こういう表現は、残念ながら中国の方が上ですね。

「千里送鵝毛、礼軽情意重」という有名なものもあります。

はるばる送くから鵝毛(ガチョウの毛)のような軽少なものを送り、その品物はわずかでも、志は厚いものがある。要するに金額より気持ちを言っている訳です。「お粗末ですが・・・・・」より気が利いてますね。

「千里行始於足下」

これは水前寺 清子の歌になってます。「千里の道も一歩から」

「千里江陵一日還(かえる)」

李白の詩です。朝(あした)に白帝城を発し・・・・・。だけど一日で往復は無理という説がありますが、まあそんな詮索はよしましょう。

「千里眼」

これは日本語でも言います。遠く離れたものを知る能力、転じて洞察力のある人、識見の高い人。

「千里馬」

一日に千里を走る馬(中国の一里は500メートル)。何故かこの名の薬のチェーン店があります。いわれは知りません。この千里馬から「千里馬常有、伯楽不常有」千里馬はいつもあるが、その馬を見つける人「伯楽はくらく」がいつもいるとは限らない。「伯楽」は中国周の時代の馬を見分ける名人。「馬喰ばくろう」の語源ともなっている。能力のある人も、その能力を知る人がいないと、人材が埋もれてしまう可能性があります。

経営者も極端な話「伯楽」の能力さえあれば、経営を上手くやっていけるかもしれません。

そうそう千里と言えば「惚れて通えば千里も一里」の経験が、私には残念ながら一度もなく、この年になってしまいました。

追伸

中国の諺に関した話がまとまりましたので、来春には出版いたします。

その折にはよろしくお願いします。

|

  暴殄天物(バオティエンティエンウー)

 私には滅多にないことですが、美しい女性と食事をした時のことです。

私の食事はと言えばいつも酒が中心で、食べることは二の次です。この時は照れもあって、一層そうなりました。すると彼女に「酒鬼(ジュウクイ)ですね」と言われました。ここで中国語の「鬼」について説明しますと

①亡霊・幽霊のこと。ゴーストです。日本語にも鬼火という言葉があります。

②外国人に対して憎悪の意味で鬼をつける。「洋鬼ヤンクイ」は毛唐で「日本鬼リーベンクイ」「東洋鬼トンヤンクイ」は、日本人め・日本兵め位です。ここで脱線します。あの不幸な戦争中に中国人にこう言われていたのを聞いた日本の兵隊が、我々が鬼のように強いから彼等がそう呼ぶのだといって、喜んだという笑えぬ話があります。(中国語の鬼にはそんな意味はありません)

③よくない習癖にとりつかれた人に「鬼」を付けます。「賭鬼ドウクイ」は某製紙会社の御曹司「煙鬼イエンクイ」は古くはアヘン中毒者・ヘビースモーカー。問題の「酒鬼」はのんだくれ・アル中で「酒仙ジュウシエン」は李白のような人。「色鬼スークイ」は説明不要でしょう。

閑話休題(言帰正傳といいます)

 さて酒を手酌でやっている内に、私の前に料理が溜ってきました。すると今度は「バオティエンティエンウー」と彼女が言うではありませんか。何度聞き直しても意味が分かりません。そこで紙に書いてもらったのが「暴殄天物」です。「天物」とあるので、多分天からの与えられた物を粗末にしている位だと解釈しました。(注)

食事が終わってから別れましたが気になったので千鳥足で本屋に寄りました。そこには「もったいないことをする。自然のものをみだりに損う」とありました。

後日、この話をある有名大学出身の中国人にしましたら、彼は「難しい成語ですね」と言ってくれました。だが新華字典というポケット字典(袖珍字典)の「殄」の項目に用例としてこの「暴殄天物」はちゃんと載っていました。

(注)中国では残った料理は、店の人に「打包ダーパオ」と言えば残り物は、どんな店でも持って帰れます。「犬に食べさせたいから」なんて見栄をはる必要はありません。

|

  百人吃百味(バイレンチーバイウェイ)

 この「吃(チー)」の字は日本語では「どもる」として使いますが中国語では「食べる」の意味です。麻雀(中国語では麻将)でもチーと言わずに食う・食ったという人がいますし、食いタンという役もあります。ということで、このことわざは「百人が食べれば百通りの味がある」すなわち「百人が百人とも食物に対する嗜好が違う」と言っているのです。こう言えば皆さんは日本のことわざ「蓼(たで)食う虫も好き好き」を連想されるでしょう。事実、蓼は香辛料になる位に辛いのですが、そんな草を好んで食べる虫がいるところから、こんなことわざが出来たのでしょう。

 今回この日中のことわざを比べると、中国のそれは算数みたいで面白味に欠けます。それに比して日本の方が、奥があってことわざらしく、軍配はこちらに上げたい気がします。

 又、この例だけでなく、日本には食べ物に関係したことわざが実に豊富で、中国料理の本場のそれを、はるかに越えていると私は感じています。

だがそんな事を言うと、中国人10人中9人位は、そんことはない中国語の方が豊富だときっと言います。

これこそが中国人の性癖(せいへき)だと私は経験上断言できます。というのも歴史的文化的にも日本の兄貴分いや親以上の中国人にとってこんなどうでもいいことでも、日本に負ける?のは、潔(いさぎよ)しとしないでしょう。

実際(共産党にとっての)愛国教育を実施している中国では夜郎自大(やろうじだい)的な言動が有ってもおかしくないのです。(愛国教育もない日本も問題ですが)

いやはや食べる話から大袈裟な話になってしまいました。

 

*前回のクイズの答え

「三得利」は、サンドウリーと発音して、サントリーの中国名です。意味も、生産者、販売者、消費者の三者が利を得るともとれるので、傑作といえるでしょう。

|

  百人吃百味(バイレンチーバイウェイ)

 この「吃(チー)」の字は日本語では「どもる」として使いますが中国語では「食べる」の意味です。麻雀(中国語では麻将)でもチーと言わずに食う・食ったという人がいますし、食いタンという役もあります。ということで、このことわざは「百人が食べれば百通りの味がある」すなわち「百人が百人とも食物に対する嗜好が違う」と言っているのです。こう言えば皆さんは日本のことわざ「蓼(たで)食う虫も好き好き」を連想されるでしょう。事実、蓼は香辛料になる位に辛いのですが、そんな草を好んで食べる虫がいるところから、こんなことわざが出来たのでしょう。

 今回この日中のことわざを比べると、中国のそれは算数みたいで面白味に欠けます。それに比して日本の方が、奥があってことわざらしく、軍配はこちらに上げたい気がします。

 又、この例だけでなく、日本には食べ物に関係したことわざが実に豊富で、中国料理の本場のそれを、はるかに越えていると私は感じています。

だがそんな事を言うと、中国人10人中9人位は、そんなことはない中国語の方が豊富だときっと言います。

これこそが中国人の性癖(せいへき)だと私は経験上断言できます。というのも歴史的文化的にも日本の兄貴分いや親以上の中国人にとってこんなどうでもいいことでも日本に負ける?のは潔(いさぎよ)しとしないでしょう。

実際(共産党にとっての)愛国教育を実施している中国では夜郎自大(やろうじだい)的な言動が有ってもおかしくないのです。(愛国教育もない日本も問題ですが)いやはや食べる話から大袈裟な話になってしまいました。

 

*前回のクイズの答え

「三得利」は、サンドウリーと発音して、サントリーの中国名です。意味も、生産者・販売者・消費者の三者が得を得るともとれるので、傑作といえるでしょう。

 

|

 阿斗当官 その2

前回で日本語にならなった中国のことわざ第1号に「阿斗当官」を選んだのは少々訳があります。

それは現在の中国語では、発音記号は全てローマ字で表わします。だから辞書類は発音記号(ピンインといいます)のAから始まります。

そうしますと漢字の「阿」が辞書の最初ということになります。そしてこの「阿」は人の呼称の前につけて親しみを表す場合にも使用されます。この例としてこの「阿斗」や「呉下の阿蒙にあらず」があります。これは呉下の蒙ちゃん位の感じです。

だがなんといっても最近では、日本の朝の連ドラの「おしん」が、中国では「阿信(アシン)」として放映され、評判となりました。

さてこの「阿信」の話から大きく脱線します。

中国語には当り前の話ですが、カタカナもひらがなもありません。でも外国の地名、人名等は、全て漢字で表記しなければなりません。この場合一般的に①漢字の音だけを借りて書く ②意味を考えて変換する ③①と②の混合の3通りが有ります。

中国の街中でもよく見る「麦当労(標準語の発音ではマイタンラオ)」は、香港などで使われる広東語の発音では「マクドナルド」に近いので、このように書くだけで、漢字としての意味は全然ありません。

そして歌手の美空ひばりは「美空雲雀」とかくのは、鳥のヒバリを持って来ています。

さらに「可口可楽」は、発音はコカコーラに近く、意味は「口に合い楽しめる」と解釈できるので、外来語の傑作と言われています。

なお「百事可楽はペプシコーラ」

この様に中国に行かれたら、看板などを見て、外国のものや人名をどのように書いてあるかを見るのも、旅の楽しみに加えては如何でしょう。

それではクイズです。「三得利」は何という企業名でしょう。

|

 阿斗当官(アトウタンクワン)

さて日本語にならなかった、中国のことわざトップバッターはこれです。だがこの四文字だけでは「阿斗が役人(官史)になる」の意味ですから何のことかさっぱり分かりません。だが、もし「阿斗」の人名に心当たりのある方がいらしたら、その人は間違いなく中国の歴史通です。

それでは一寸長い説明を。

阿斗はあの三国志の劉備の息子、劉禅の幼名です。

彼は劉備亡きあと帝位を継いだのですが、蜀の国を亡ぼした凡庸の人間の代名詞として、子供向きの百科字典にも載っています。この点では始皇帝亡きあと趙高(ちょうこう*)にかつがれて皇帝となった胡亥(こがい)と似ています。従ってこのタイトルは「阿斗が役人となる。・・・・・・名は有っても実力は無い」すなわち「有名無実」という意味となります。

どこかの国にも、こんな役人や政治家がゴロゴロしているような気がします。

さて、このように上の句だけを言って、下の句をはぶくのを中国では歇(欠)后語(けつごご)と称して、現在でも盛んに使われ、新作も作られています。

日本にも「乞食のおかゆ・・・・・(米が少なくて)湯だけ」すなわち「言うだけ」のような洒落がありますが、それと同じです。

私なども若い時に「もうこうなったら便所の火事だ」すなわち「ヤケクソ」なんて汚ない洒落を、麻雀や碁でよく使った記憶があります。でもこんな言葉今の若い人は聞いたこともないでしょう。

ともかくこんな古い時代の人名が、今でも日常の会話にも生きている、中国人の歴史好きの一面は、知っていて良いでしょう。

*「趙高」はどの辞書にも説明が有りますので、一度御覧になって下さい。「鹿を指して馬と為(な)す」の話も有名です。  

|

最近のブログ記事

↓タグから探す