中国の最近のブログ記事

 これからの季節は酒がおいしいし、飲む機会も多くなります。そこで例によって、中国人が酒をどう思っているか、ことわざで見てみますと。

一酔解千愁。 「酒は憂いの玉箒」に相当、

         一と千の対比も中国らしい表現、

今朝有酒、今朝酔。 明日は明日の風が吹く、

             宵越しの銭は持たねえ、

酒有別腸。 このまま「酒に別腸あり」となりました。

        そして

酒后吐真言。 酒が入れば本音を吐く

酒后之言不可信。 酒席の話は信ずるべからず

    (前句と矛盾しますが どちらも本当なのでしょう)

酒不酔人 人自酔。 これには下の句が有って

         「色不迷人、人自迷」 うーん、なるほど。 

         酒色に溺れるのは 本人のせいで

         酒や○○に罪はありません。

酒能成事 酒能敗事。 だから酒は上手に飲まないと

          事をダメにもします。とは言いつつも、

酒是英雄胆。 酒を飲むと大胆になれる。 で、

酔翁之意不在酒。 酔っぱらいの気持は、もう酒には無い。

           あちらに有る (敵は本能寺)

           心当りの有る人も多いのでは

            (自分のことか)

酒逢知己千杯少。 でも 酒は話の通じる相手だと千杯でも

         少ない。となりたいものです。この句にも下の

         句があって「話が合わない相手には半句(半杯

         をかけてます)でも多い」

 

 如何ですか。 なお李白のような酒好きは「酒仙」と呼び、私のような単なる飲んべえは「酒鬼」と言います。

(中国語の~鬼は、ほとんど悪い意味です。 色鬼は説明不要でしょう。)

 話が落ちたところで、

 それでは皆さん、どうか良いお年を。

|

 北京オリンピックは、厳重な警備とそれを可能にした大学生を中心としたおびただしい数のボランティアによって、何事もなく無事終了しました。そして予想通り、金メダルの数でアメリカを大きく引き離して第1位となりました。しかし、今振り返ってみると、何と言ってもあの開会式が、今の中国を象徴していたと私には思えます。

 中国映画を代表するチャン・イーモオ監督の演出による、中国ならではの人海戦術による数々の出し物は、おそらく空前にして絶後でしょう。あのショウの中で、中国古代の四大発明にちなんだ物がいくつもあったことも印象的でした。

 この四つは、言うまでもなく羅針盤、紙、火薬、活字印刷ですが、これを強調することが中国人のプライドに連なることは当然です。その線から見ると、あのショウの中で何十台もの丸い輪の自転車のような乗物も、指南車(注)と考えるべきかもしれません。

 ともかく、あの壮大な出し物を見た中国人にとっては、アヘン戦争以来の負の遺産が完全に払拭されたことでしょう。また中国人自身もよく口にする落后(立ち遅れている)中国も、完全に先進国に追い付いたとの自信を持ったことでしょう。

 そして政府としても、なんとしてもこのオリンピックを成功させるために、競技場での空港よりも厳しい荷物検査や、臭い物に蓋式の、マイナス部分を一切人目にさらさせない方針も、このためには止むを得なかったのかとも思います。

 だが2年後の上海万博も控え、かなり無理をしたツケは、今後どのような形になるのかも気がかりではあります。

 (注)指南車とは、磁石の応用で常に南を指す車を発明し、これにより中国人の始祖と言われる黄帝が、霧の中での戦いで敵に勝った故事があります。これから「指南」とか「指南役」という言葉が今も生きています。 

|

 香港のディズニーランドは、日本人はあまり行かないでしょうが、ツアーで同行の人たちが行くというので、何の予定もない私も合流しました。地下鉄と電車を乗り継いで9時半頃に着きましたが、10時の開門まで待たされました。

 入場料に65歳以上のシニア割引があって、日本円で 2,500円くらいと皆さんより 1,000円くらい安くなりました。なお、シニアの名称はここでは「長者」となっています。これは①年配者・年長者の意味で、それ以外に②徳のある人の意味もありますが、日本語の「金持ち」の意味はありません。もしそうでしたら②もない私は、割引を受ける資格がないことになります。そして何より残念だったのは、切符を買う際に、年齢を証明するものの提示を求められなかったことです。せっかく本当のパスポートも持っていたのに。

 さて、その規模は、東京に比べてかなり小さいです。シンデレラ城もかなり小粒で、城の内部を回るコースはなく、単に門の役目だけです。ジャングルクルーズ以外は、ウイークデーであることを割引いても、ほとんど待ち時間はありません。ミッキーやドナルドとかのツーショットもすぐ撮れます。ただし暑さのせいか、これらのぬいぐるみの人たちの動作が、今ひとつ緩慢に感じたのは私だけではなかったようです。香港はなにせ湿度の高い所で、足の水虫の別名が「香港脚」というくらいですから。

 それから、よせばいいのに年甲斐もなく乗ったスペースマウンティンでは、少し気分が悪くなりましたが、スモールワールドや立体映画劇場などはなかなか良かったですよ。そして3時頃にはまた九龍に戻りました。

 この後は、前回書きました海鮮料理のディナーと船からの夜景見物と夜食で、最終日の行動は終了しました。

 さて今になって振り返ってみると、香港で何度も乗った地下鉄では、窓には「席を譲りましょう」という標語のステッカーがいっぱい貼ってありましたが、一度も席を譲られなかったことが、なぜか気になります。2年前の台北では、何度も嫌になるくらい席を譲られましたが…。この辺にも、私の台湾贔屓の理由があるのかもしれませんね。

|

 マカオから香港に戻り、九龍公園近くのホテルに入りました。ここで荷物を置き、とりあえず地下鉄でビクトリアピークに向かいました。地下鉄の駅から山麓駅までの道が判り難くて、折からの雨もあり、もう少し案内標識があったらと感じました。

 登山電車は昔のままで、欧米人らしい人たちも数多く乗っていました。山頂に着いても雨では展望も悪く、夜景まで待つ気も失せて、早々にホテルに戻りました。

 そこでばったり会った同行ツアーの人たちが「女人街」へ行くというので一緒しました。

ここは雑貨や服飾品等の屋台風の店が軒を連ねる市場です。店の裏まで行くと、偽ブランド品のカタログまで見せてくれるのに感心?しました。そんな風で「女人街」は文字通り、女性にはきっと楽しいところでしょう。

 私はここで、ケータイのストラップをたくさん買うからと、4分の1の値段にさせることに成功しました。情けない話ですが、海外でも高いものを買った経験がありませんので。

 この後、たまたま道を尋ねた親切な若夫婦に、地元の人が行く「鳳城酒家」という中国料理店にまで案内してもらいました。

 満席のお客でしたが、相席にもしないで4人の一卓を用意してくれ、セット料理が値打ちだと勧められそれにしました。フカヒレスープもついて一卓で丁度1万円くらいで、大正解でした。この店と翌日の夜食に行った、東京にも出店しているらしい「糖朝」という店はおすすめです。

 これらに比べて、翌日船で島まで渡って食べた海鮮料理店は、味はともかくボリュームと値段で失格でした。

 オプショナルツアーは、昨年の桂林もそうでしたが、大体値段と内容が一致しない方が多いようです。

 さて食事とアルコールが入れば、例によって寝るだけの私は二日目も終わりです。

 次回は香港ディズニーランドのお話を。

|

 先月 マカオ・香港を駆け足で見て来ました。

こんな旅を中国語では「走馬看花 走る馬から花を見る」といいますが、まさにそれでした。

 名古屋から香港に飛び、そのまま高速船に乗り換えてマカオに入りました。30年振りの町は、話しには聞いていましたが、想像をはるかに越えていました。昔は何一つ無かった高層ビルとホテルの林立には、目を見張りました。これなら賭博の売上がラスベガスを抜いたというのも、さもありなんと感じました。

 今回のツアーは、エアーとホテルだけですので、早速近くのポルトガル料理のレストランに行きました。味も値段もまあまあでした。これだけで寝るには早やいので、ホテル隣接のカジノを覗きました。Tシャツでも入れる処で無料でしたが、千坪はあろうかという大きな部屋でした。映画で見るようなルーレット等が、数え切れなく有って、真ん中には舞台もありました。多分ロシア人であろう大柄な美女達が踊っていました。聞くところによると、VIPルームのショウはもっと男性向き?との事でした。私は旅に出ても早寝ですので、勿体ないですが、一日目はこれで終りです。

 翌朝はホテルで好きなおかゆ料理を食べてから街に出ました。世界遺産の建物群を見てから、例の大聖堂へ行きました。途中偶然に墓地の横を通りましたが、漢字の墓標に混ざってローマ字で書かれた物が多数あって、マカオの歴史がしのばれました。

 教会跡は昔のままで、以前はこの前に屋台が有ったような気がしましたが、今はありませんでした。ここで1個100円位の名物のエッグタルトを食べましたが、反対側の店が正解だったようです。

 以上でマカオの旅は終りで、ホテルに戻って荷物を持ち、波止場に行きました。これではマカオに寝る為に行った、と言われても仕方ないかもしれません。

 なお、ホテルの冷蔵庫の中の飲み物は、全てタダでした。この事を同行の人に船中で話したところ、有料と思って手を付けなかったと、悔しがった人がいました。注意書きが中国語と英語だけでしたから、気が付かなかったようです。中国語では無料を「免費」と書きます。 

  次回は香港の報告を。

|

 前回の中国人の青年との車中談の続きです。

 中国人同士の初対面では、出身地はどこか、どこから来たかなどをよく話題にします。

これは中国の広い国土とも関係しますし、今でこそ標準語(普通語)が普及しましたが、かっては百里(中国の一里は500米)離れれば言葉が通じない、と言われたのも関係が有るのでしょう。

 さらに中国で何度も起きた動乱の歴史から、自分の信用信頼出来る人間として、血縁、地縁、コネなどを重視するのは、良否はともかく理解出来るような気がします。

 ともかくそんな事で、私も彼の出身地を聞きました。彼は湖南省の人で、ある都市の名を口にしました。湖南省の場所は私でも知っています。…洞庭湖の南に位置するから湖南省…だが残念ながら彼のいる都市は分かりませんでした。

これは私の不勉強の言い訳でもありますが、昨年放映された関口知宏の「中国鉄道大紀行」でも、人口が百万を超すような町でも 全然知らない町が多い事も、テレビを御覧になった方は実感されたはずです。 中国は広い、しかし 彼の町を知らないと言った時の 彼の一寸寂しそうな表情を見て、何かフォローをしなければと思いました。

 そこで湖南省出身で、私が唯一知っている毛沢東の名前を出しました。そうしますと、彼の顔がぱっと明るくなって、自分の住んでいる所はその近くだと言いました。

 もっともこの近くというのも、よく聞いてみると、汽車で1時間位の処だそうです。この距離感の違いも、中国人と日本人の違いではないかと、何度か経験しています。…やっぱり中国は広い…名古屋の人間が、浜松や京都の近くだとは、誰も言わないでしょう。

|

 JRで刈谷から名古屋へ戻る車中での出来事です。真面目そうな若い男性の横に座り、中国語関係の本を取り出して読み始めました。と、その青年が「中国語を勉強しているのですか」と中国語で問いかけてきました。それから中国語と日本語のチャンポンの会話が始まりました。そして彼が日本の企業で働いていることや、日本の会社は残業が多いのでびっくりしていることもわかりました。

 会話の中で当然のように、日本語と中国語の難しさも話題になりました。彼は日本語の敬語と外来語の多さにも苦労しているようでした。そして我々日本人なら簡単な促音(注)や濁音の難しさも言ってました。

 そんな中で私が、いつもの癖で自虐的に「人老 心労」とぼやきました。実はこの言葉は中国人のよく使う「人老 心不老(年は取っても気は若い)」をもじったものです。すると彼はすかさず「活到老 学到老」と返してきました。そしてこの言葉は、日本語でどう訳するのかと尋ねてきました。

 このことわざも中国人がよく使うものですが、残念ながらピッタリする日本のことわざがありません。それで「生きている限り学び続ける」くらいに辞書に載っていると説明しました。彼と金山で別れてから、そういえば相田みつをに「一生勉強 一生青春」という言葉があったことを思い出しました。

 もっとも私の場合は、綾小路きみまろの「一つ覚えて三つ忘れる」どころか「一つ覚えりゃ十は忘れる」の方がぴったりでしょう(と自虐的になる)。

 

(注)促音とは、「国家」のような発音の際の小文字の「っ」です。だから日本語の「ニッサンのダットサン」は「ニサンのタトサン」となってしまうのです。…この発音は、中国人にとっては最難関語句の一つです。

|

 私は若い頃から講習会、カルチャーセンターの類に申込むのが好きでした。1回でやめたフランス語、2回のマジック、3回のエレクトーンまで勘定に入れるならば、その数は優に10を越します。仏語などは申込みの動機が大変不純でして、フランスとくれば当然それらしい女性が多数受講すると期待しました。しかし初回でその目論見が大きくはずれたのが判り、1回でやめた始末でした。

 そんな中で奇跡的に長く続いたものに中国語があります。これには以下のような訳があります。それは週1回の講習会が3ケ月ほど続いたある日、先生が帰り際に私を呼び止めてこう言いました。「貴方は酒を飲んでこようが、途中で居眠りしようがかまいません。しかし最低1回は貴方に当てますから協力してください。」私は先生の意図がすぐ判りました。それはこういうことです。

 私がひどい発音(今でもそうです)でテキストを読むか、質問に答えます。そうしますと他の受講生は、自分はあんなに下手ではないと、安心するかリラックスできます。これが良いのです。事実私たちのクラスは驚異的な歩留り率でした。そんな訳で先生には結婚式のお祝いとして徳利もいただきました。

 その先生はもう亡くなりましたが、その当時の仲間の何人かは今でも交流があります。

しかし、この密約は知らないようです。

|

 中国人の待ち望んだオリンピックが開かれるのは、御同慶の至りですが、いくつか気になる事があります。

1.暑 さ

 北京の西北には2000m級の山もあり、海からも離れてますから、夏は40度を越す日もあり、湿度もかなりです。そこで陸上の花マラソンは午前7時半にスタートのようですが、それでも暑さの故、意外の人がテープを切るかもしれません。

2. 水

 経済発展や農業の為に、中国各地の水不足も深刻で、北京もその一つです。競技関係や外国人観光客を優遇すれば、おそらく一般市民は、断水などの犠牲を強いられるでしょう。

3.車の渋滞

 既に環状高速道は第5環まで有りますが、市内の渋滞はひどいです。だから期間中はナンバーの奇数偶数で走れる日を交替するようです。それでも外部から来る車や仕事関係で大変な数でしょう。観光客も地下鉄や自分の足、場合によってはレンタサイクルの利用も必要かもしれません。

4.大気汚染

 地形と気候、車の排気、冬の石炭による暖房、工場の煙突等で、北京の空気の悪さは日本の比ではありません。その為、製鉄工場の移転や操業停止などをやっていますが、遅きの感がします。多分有力出場選手は、コンディション維持の為、大会直前まで選手村に入らないでしょう。

5.チケットとホテル

 大会まで6ヶ月を切ったのに、未だ旅行社の観戦ツアーの売り出しがありません。これは入場券と旅館の確保と値段交渉が上手くまとまらないせいでしょう。特に入場券は中国特有の事情(一部特権階級やコネ重視等)で、人気種目は入手困難でしょう。又物価の便乗値上げも予想されます。

6.マナーとトイレ

 最後にプラス面も触れます。それは、痰や唾を無闇にしない、バスや地下鉄は行儀よく並ぶ、店員のサービス向上などは、国をあげて指導しています。それに悪名高い(公衆)トイレの改良も、北京から全国に広がる事が期待されます。

 

(おことわり) 前回「8」と「発」は、広東語で同じ発音だと、中日辞典(小学館版)や多くの本の説を、そのまま借用しました。しかし念の為広東語辞典を引くと、全然似ていません。という事は広東語の中の方言がそうなのかもしれません。中国は広いですから。

 

 

 

|

 今月はうるう日があります。 と言う事は、オリンピックの年です。 そう 2008年8月8日午後8時(もしかして8分)に、北京で開幕されます。この「8」の数字が続くのには、昼間の暑さを避け、光の演出を意図する以上に、中国人の縁起かつぎと大いに関係が有る事は、間違いありません。 但しこれは、日本の「八」が末広がりだから縁起が良いとは異なります。

 それは中国人(でなくても)大好きな 金儲け と関係が深いのです。

 中国語の標準語(普通話)では「8」と「発」の発音は異なりますが、香港の人達などが話す広東語では「8」と「発」は同音です。(香港も中国の一部となってから、標準語が普及しつつありますが、まだまだ広東語が優勢です)

 この「発」が実は「発財」すなわち「金持ちになる」に通ずるのです。だから正月の「お目出度うございます」に相当する言葉として「恭喜発財」といったりもします。

 このような事から広東地方だけでなく、中国全土としても「8」が縁起の良い数字として定着したのだと考えられます。だから 車のナンバープレートや携帯電話で「8」が並ぶ番号が 非常な高値で売買され、ニュースにもなる訳です。

 なお「518」も「我要発」、すなわち「私は金持ちになる」に通じ、ホテルの部屋番号などで人気があります。

 このように中国人のお金に対する執念は、並大抵ではありません。これからすると、我が名古屋市のマークは「○の中に八」ですから、中国人はうらやましいでしょう。

 

|