2011年5月アーカイブ

旅要好伴 住要好隣

 ことわざ類には、洋の東西を問わず似たようなものが有るのは、教訓や庶民の知恵に基づくものが多いので、当然かもしれません。さらに日本では、古来中国から漢字を始め、多くを学んでいるので、中国と似たものが有るのは、当然の結果でしょう。

 例えば「覆水(ふくすい)盆に返らず」は、中国語の「覆水難収」そのものです。この語源は辞書を見て頂く事にして、この主人公、呂尚(ろしょう)は号を太公望(たいこうぼう)といい、日本では釣り好きの別称となっています。

 「喰いますか などと文王 そばに寄り」 「鯛を釣る まで辛抱の 出来ぬ妻」 などと江戸川柳にあるように、当時の庶民は漢籍にも通じていたことが分かります。

 閑話休題(これも中国語)話を元に戻して、タイトルの言葉は、「旅には良い道連れ、住むには良い隣人が必要」と言っていますが、日本では後半が違います。

 その理由を、私はこんな風に考えています。

①「旅は道連れ、世は情」の方が簡潔で、しかも七五調で語呂が良い。

②日本では、江戸時代の五人組制度、先の戦争時の隣組、そして向こう三軒両隣りなんて言葉があるように、そもそもプライバシーとは無縁でした。これをやかましく言うようになったのは最近のことです。

 如何でしょうか、この推理は。

 これに対して中国語の方は、中国人好みの対句であって、しかも現在の日本での世情にも、ぴったりではないでしょうか。

 ※ なおタイトルは「リュウヤオハオパン ジュウヤオハオリン」と読みます。

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楽(らく)無くとも苦あり

  ことわざが、必ずしも真理を述べている訳ではない事は、今さら言うまでもありません。例えば「うそは泥棒の始まり」と言っているのに、「うそも方便」とも言います。これは私が思うに、前者は子供のしつけ用などに有用であり、後者は融通のきかない人や、政治家向きかもしれません。

 「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」も教訓のようなものであって、現実は決してそうでもないと思えます。苦労しても苦労しても、楽にならない人も多数います。病気をする為に生まれてきたような人もいます。生まれた処によっては、自由に物を言えないような国まであります。反対に銀のスプーンを口にして生まれ、そのまま一生を送れるような恵まれた人もいます。一を聞いて十を知るような頭脳を持った人もいます。日本のように美しい自然と、自由に物を言える国もあります。

 それ故、私は残念ながらこの世の中は、不公平、不平等な部分が多く存在していると思っています。但しその為にも、努力したり勉強する事が必要である。と子供の時にしっかり教えておく必要性を強く感じています。

 本当に平等といえるのは、誰でも1日は24時間で、いつか黄泉の国へ旅立つ事位でしょう。

 今回の大災害にしてもそうです。地震、津波、火災、放射能、風評等々で、三重苦でもきかない方々がいらっしゃいます。この方々が今まで人並み以上に楽をした訳でもなんでもありません。もしかすると、私のような安穏怠惰な生活を送ってきた人間の、身代わりに苦を背負ったのかもしれません。その意味からも、東日本の皆さんが、一日も早く普通の暮らしに戻れることを、祈らずにはおられません。

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