2010年9月アーカイブ

 のぞみ

 子供の時に読んだ本に「そちにのぞみの物を取らせる。なんなりと申してみよ」とか「お前ののぞみを三つかなえてあげよう」なんて文句がありました。又古い歌謡曲の中には「のぞみ果てないはるかな潮路」とか「のぞみも夢もはかなく消えて…」というのもありました。スポーツの世界では「まだ優勝ののぞみは残っているから … 」なんて表現も目にします。そして私も利用する新幹線には「のぞみ」が走っています。

 こうしてみると「のぞみ」という言葉は、随分と身近かな言葉といえるでしょう。しかし私自身は、この言葉を人に対して使ったことも、人から聞かされた記憶もほとんどありません。例えば税務調査の折りに「是認される可能性は五分五分でしょう。」とはいっても「望みがあります」はなんとなく違和感があります。その理由としては、もともとこの「望(ぼう)」という字は、人が背伸びをして遠くを望み見る形に、音符の「亡」を加えたところからきているとの事です。そう考えますと、税務調査なんかに使用しないのは、正しいのかもしれません。そんな意味からテレスコープを「望遠鏡」と翻訳したのは、ぴったりかもしれません。(もっとも、テレグラムやテレホンは別の形ですし、テレビジョンはそのままになりましたが)

 さて思えば、私自身子供の頃から将来に対して大望を持った事もなく、周囲から嘱望された憶えもありません。又他人のすることを「羨望」のまなざしでみることも、あまり有りませんでした。正直な処「酔生夢死」に近い人生を送ったような気がしてなりません。こうなりますと 最後の願望としては「P.P.K」すなわち、ピン、ピン、コロリと旅立てたらなあと思う 今日この頃です。(これもひょっとすると 望み薄かも) 

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 ねあか  ねくら

 一年ほど前に、言えない言葉として「うざい」を私は取り上げました。今回の言葉も昔は無かったものです。それで「ねあか」を日本俗語大辞典(東京堂出版)で見ますと、「根が明るいこと。またその人。反対がねくら。漫画家いしかわじゅんの造語。タモリがはやらせた。1982年流行語となった」とあります。他の本を調べますと、「うざい」を第六版(2008年)で始めて載録した広辞苑も、ユニークな定義が売りの新明解国語辞典も「ねあか」は載せてません。反対に日本語大辞典(講談社1989年版)や大辞林は有りです。こうしてみると、既に定着しているかに思える「ねあか」「ねくら」も出版社によって取扱いが異なります。

 ところで私自身は、この言葉は「うざい」ほど抵抗が無いので、使ったことはあるかもしれません。しかし多分稀でしょう。

 さてこの言葉のように、人を何かの基準で類型化する方法は、十二支に基づくのも含めて、古くから人々の興味を引くようです。その最たるものは、現在ではなんといっても、血液型による分類でしょう。科学的根拠は無いと言われていますが、随分と支持されてます。中には人事配置や異動にまで、血液型を考慮する役員クラスの人もいます。

 しかし私は、これらの分類は、話のネタとしてはそれなりに面白いですが、こだわる気にはなれません。何故なら人は環境や、本人の学習や努力によって、自分を変えたり向上する事が出来ると信じていますし、信じたいからです。事実、ネクラと思ってた人が、自分の得意分野では生き生きとしている事や、ネアカと思っていたのに逆だった、というのも何度か見てきています。人間はそんなに単純ではない、というのが年寄りの正直な気持です。

 ところで、私の血液型は何だと思われますか。

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