2010年8月アーカイブ

 糠 (ぬか)

 糠が付く言葉を拾い出しますと、糠漬け、糠床、糠袋、糠味噌、糠味噌が腐る、糠味噌臭い、糠味噌女房、糠喜び等があります。さらに(こ)糠雨、糟糠(そうこう)の妻といった言葉もあります。

 この中で若い人には注釈が要りそうなものを説明しますと、「糠味噌が腐る」は、歌が下手であったり、声が悪かったりすると、それをあざける時などに使い、「糠味噌女房」は、家事に追われて所帯じみてしまった妻、又は自分の妻をへりくだっていう時に使います。それから糠を、こまかいこと、はかないの意味で「糠雨」「糠喜び」といいます。

 さらに「糟糠の妻」は、酒かす(糟)と糠のような粗末な食事をしてきた、すなわち貧乏ぐらしを共にしてきた妻を指します。そこから中国の故事から来た言葉で、「糟糠の妻は堂より下(くだ)さず」というのがあります。この意味は、そんな貧しい生活を共にしてきた妻を、自分が出世したからといって、堂(家)から追い出すようなことをしてはいけない。と言っているのです。この話から、四谷怪談や中国の陳世美(注)の話を連想する人もいるかもしれません。

 ところで現代においては、妻の方が偉くなったり、夫より多く稼ぐケースも多くなってますので「糟糠のは堂より下さず」ということわざも必要かもしれません。

 ともかく、この「糠」の付く言葉には、既に死語となっているものが多いのも、漬物を自宅で作らない人が増えている現在では、当然なのかもしれません。

(注)

 陳世美は科挙に合格し、請われて皇帝の娘婿となり、糟糠の妻の死亡を図り、包公の裁きで死刑となり、これをテーマとした芝居は、中国では誰でも知ってます。なお包公(999~1062)は公明正大な裁判官として、庶民にとって理想の役人です。

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 父親が国家公務員だった関係で、よく引越しをしました。お陰で4つの小学校、2つの中学を体験しました。その間の住まいは、主に官舎というどれもこじんまりとした家でした。ただ共通している事は、狭いながらどの家にも庭があることでした。今回はその庭についての思い出を、古い順から綴ってみます。

 最初の記憶にある庭は、花も木も無く物干しだけが有ったような気がします。塀の下のすき間は、子供なら通り抜けて隣家に行けました。次の家には手水鉢(ちょうずばち)があって、その下に百合が植えてありました。裏の木戸を抜けると別の道路に行けました。次の未亡人だった叔母の家には防空壕(注)がありました。庭に不発の焼夷弾も落ちました。ここで終戦を迎えました。それから越した家は、当時は卵が貴重だった事もあり、狭い庭に鶏小屋を作りました。次の家は比較的大きい家で、夾竹桃が何本か有りました。生け垣で囲まれていましたが、木がまばらで塀の役目はしませんでした。この家で小学校を卒業し中学に進みました。さて次の家でやっと持家となりました。小さな庭の隅のカンナがよく咲きました。もっと狭い裏庭には無花果(いちじく)もありました。ここの縁側で夏はよく西瓜を食べました。ここからもう一度引越しをした家は、芝桜が毎年よく咲きました。ここにもカンナがありました。

 さて庭のある生活は、私にとってはこれが最後となって、以後はベランダと呼ぶものに変りました。気がつくと、庭の無い生活の方がはるかに長くなって、庭という言葉は、これからも私は使う事はないでしょう。

 (注) 先の戦争の際、敵の空襲の時に待避する為に、地下に掘った穴や部屋。 

 

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