2009年3月アーカイブ

先日、私の所属するNPO法人の記念講演で、呉善花さん(オ・ソンファ、拓殖大学教授)をお招きしました。呉さんの著作では「スカートの風」「日本人ほど個性と創造力の豊かな国民はいない」等多くがあり、お読みになった人もいるかもしれません。

 呉さんは親日というか日本びいきというか、その言動や著作のせいで、現在韓国で入国拒否されてます。御本人の話では、入国よりも日本へ帰る(現在 日本に帰化)際に、出国禁止になる方が、もっと恐いそうです。

 前置きが長くなりましたが、お話しの中で、まさに目からうろこの日本語論が聞けました。それは「日本語には受身形が非常に多い」という事です。

 「泥棒に入られた」「女房に逃げられた」………どうです、この語感。これは相手を責めるというより、そんな事をされた自分の側にも非が有る、と言ってるように聞こえませんか。

 このような表現は、韓国語にはまったく無いそうです。そうして韓国人は常に上下関係を作ろうと行動するから「……して頂いた」という表現もあり得ないそうです。日本人の このように相手との調和を重んじ、負担をかけまいとする心情は、呉さんに言わせると、世界でも稀な存在なんだそうです。

 これらの事を言われてみると、私自身もかねてから疑問を持っていた、広島の原爆記念碑にある「誤ちはくりかえしません」の文言も判るような気がします。無辜な市民を大量殺戮され何も文句を言わず反省する日本人。

 こんな日本と日本人を呉さんは大好きで、世界中がもっともっと日本人を見習うべきと締めくくって頂きました。

 この講演の後で、我々NPOの連中は早速「反省会」を開き、大いに盛り上がりました。

|

 昔の人がそうであった様に、明治生まれの母も、ことわざが好きでした。この事は以前にも書かせてもらいました。その母は私の結婚式も見る事もなく亡くなりましたが、次のようなことわざを時々言ってました。

 『駕籠に乗る人担ぐ人、其の又 草鞋(わらじ)を作る人』

 実は このことわざの解釈は、二通りあるようです。

 一つは文字通りに、人々の身分や境遇に、今でいう格差が歴然とある。という味も素っ気も無いもの。

 もう一つは、世の中は色々な人達で成り立っていて、誰が偉いというものでもなく、持ちつ持たれつである。という含みのあるもの。

 母はどうやら後者の意味で使っていたようです。というのも、(他)人さまの生活をうらやむでもなく、ましてや妬むという事もなく、身の丈(たけ)に合った生活を、旨としていましたから。

 しかし、私はどうやらこのことわざを、自分の都合の良い様に解して、今に至るまで、人並みの努力も怠り、酔生夢死に近い生き方をしてきた気がします。実際40年以上の古い同居人には何度も、まったく計画性の無い男と言われてますが、反論する余地がありません。

 そして今思い返すと、高校生の時、心無い私が、自分の身長のことで母を責めた事がありますが、このことわざは、それに対する回答だったかもしれません。

 〔蛇足〕

 英語ではこれに当たることわざで 『銀のスプーンをくわえて生まれる人と、そうでない人』 というのが有りますが、これと比較して日本語は、味が有ると思いませんか。

|