2008年4月アーカイブ

 前回の中国人の青年との車中談の続きです。

 中国人同士の初対面では、出身地はどこか、どこから来たかなどをよく話題にします。

これは中国の広い国土とも関係しますし、今でこそ標準語(普通語)が普及しましたが、かっては百里(中国の一里は500米)離れれば言葉が通じない、と言われたのも関係が有るのでしょう。

 さらに中国で何度も起きた動乱の歴史から、自分の信用信頼出来る人間として、血縁、地縁、コネなどを重視するのは、良否はともかく理解出来るような気がします。

 ともかくそんな事で、私も彼の出身地を聞きました。彼は湖南省の人で、ある都市の名を口にしました。湖南省の場所は私でも知っています。…洞庭湖の南に位置するから湖南省…だが残念ながら彼のいる都市は分かりませんでした。

これは私の不勉強の言い訳でもありますが、昨年放映された関口知宏の「中国鉄道大紀行」でも、人口が百万を超すような町でも 全然知らない町が多い事も、テレビを御覧になった方は実感されたはずです。 中国は広い、しかし 彼の町を知らないと言った時の 彼の一寸寂しそうな表情を見て、何かフォローをしなければと思いました。

 そこで湖南省出身で、私が唯一知っている毛沢東の名前を出しました。そうしますと、彼の顔がぱっと明るくなって、自分の住んでいる所はその近くだと言いました。

 もっともこの近くというのも、よく聞いてみると、汽車で1時間位の処だそうです。この距離感の違いも、中国人と日本人の違いではないかと、何度か経験しています。…やっぱり中国は広い…名古屋の人間が、浜松や京都の近くだとは、誰も言わないでしょう。

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 JRで刈谷から名古屋へ戻る車中での出来事です。真面目そうな若い男性の横に座り、中国語関係の本を取り出して読み始めました。と、その青年が「中国語を勉強しているのですか」と中国語で問いかけてきました。それから中国語と日本語のチャンポンの会話が始まりました。そして彼が日本の企業で働いていることや、日本の会社は残業が多いのでびっくりしていることもわかりました。

 会話の中で当然のように、日本語と中国語の難しさも話題になりました。彼は日本語の敬語と外来語の多さにも苦労しているようでした。そして我々日本人なら簡単な促音(注)や濁音の難しさも言ってました。

 そんな中で私が、いつもの癖で自虐的に「人老 心労」とぼやきました。実はこの言葉は中国人のよく使う「人老 心不老(年は取っても気は若い)」をもじったものです。すると彼はすかさず「活到老 学到老」と返してきました。そしてこの言葉は、日本語でどう訳するのかと尋ねてきました。

 このことわざも中国人がよく使うものですが、残念ながらピッタリする日本のことわざがありません。それで「生きている限り学び続ける」くらいに辞書に載っていると説明しました。彼と金山で別れてから、そういえば相田みつをに「一生勉強 一生青春」という言葉があったことを思い出しました。

 もっとも私の場合は、綾小路きみまろの「一つ覚えて三つ忘れる」どころか「一つ覚えりゃ十は忘れる」の方がぴったりでしょう(と自虐的になる)。

 

(注)促音とは、「国家」のような発音の際の小文字の「っ」です。だから日本語の「ニッサンのダットサン」は「ニサンのタトサン」となってしまうのです。…この発音は、中国人にとっては最難関語句の一つです。

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 私は若い頃から講習会、カルチャーセンターの類に申込むのが好きでした。1回でやめたフランス語、2回のマジック、3回のエレクトーンまで勘定に入れるならば、その数は優に10を越します。仏語などは申込みの動機が大変不純でして、フランスとくれば当然それらしい女性が多数受講すると期待しました。しかし初回でその目論見が大きくはずれたのが判り、1回でやめた始末でした。

 そんな中で奇跡的に長く続いたものに中国語があります。これには以下のような訳があります。それは週1回の講習会が3ケ月ほど続いたある日、先生が帰り際に私を呼び止めてこう言いました。「貴方は酒を飲んでこようが、途中で居眠りしようがかまいません。しかし最低1回は貴方に当てますから協力してください。」私は先生の意図がすぐ判りました。それはこういうことです。

 私がひどい発音(今でもそうです)でテキストを読むか、質問に答えます。そうしますと他の受講生は、自分はあんなに下手ではないと、安心するかリラックスできます。これが良いのです。事実私たちのクラスは驚異的な歩留り率でした。そんな訳で先生には結婚式のお祝いとして徳利もいただきました。

 その先生はもう亡くなりましたが、その当時の仲間の何人かは今でも交流があります。

しかし、この密約は知らないようです。

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