2007年12月アーカイブ
私の生半可の知識で日本語を考えますと、それは日本固有のやまと言葉(例えば ひとつ、ふたつ、みっつ…)に大量の漢語(一、二、三…)が混入して、それに「若干の外国語(タバコ、カルタ、チョンガー等)で形成されていると思います。
そこに敗戦後、ジープ、MPを始めとした英語を中心とした外来語の波が押し寄せて、近年のパソコン用語のようにカタカナ語全盛の時代となっています。こんな日本語?の全てを習得するのは容易ではありません。そんな事もあってか、本だけでなくテレビでも最近いやに日本語をクイズの種にしたものが増えてきました。先日も「建か、強か」の読み方が出題されていました。だがこんな問題を子供が見ると(いや大人も)日本語は難しいもんだと、思ってしまうのではないかと気にもなります。
このように、書くも読むも意味にも加えて、実はもう一つ問題があります。
最近こんな事がありました。今は年末調整の頃です。丁度、その説明会の席上で私は、年末調整で全ての社員の分を正確に処理するのは、不可能に近いと説明しました。例えば、子供や奥さんのアルバイトやパートの正確な収入を、世帯主がどこまで把握しているでしょうか、又、出来るでしょうか。だがこの額によって、控除対象者や控除額に変更が生じます。そこで多くの社員を抱えている会社では、毎年のように何かしら問題が生じます。この修正は翌年春の「確定申告」でするか、最悪のケースでは税務署からの「是正通知」を受けるのも仕方が無いでしょう。だから源泉担当者が、何が何でも正確を期し、がちがちに考えないで下さい。という主旨で話をした積りでした。ところがです。後で分かった事ですが、「講師は年末調整はいいかげんで良いと説明した」と受け取った人がいました。
このように、話し手の意図が正しく伝わらなかったり、不十分な説明で失敗した経験を私は何度もしています。 言いたい事を正しく相手に伝えるのは、私に限らず難しいものだと思いたいです。
ところで、貴方は職場での同僚、上司、部下、そして家庭でのコミュニケーションに自信はありますか。
藤原正彦さんといえば、数学者というより『国家の品格』という大ベストセラーの著者として有名になりました。この藤原さんは、最近雑誌などで、今、子供の教育で最も力を入れるべきものとして「国語」を掲げています。なかんずく「読み」こそが大事と書かれています。
言われてみると、今でも思い出すことのできる文章の冒頭は、ほとんど「読み」に由来するような気がします。
以下若干記憶があやしいですが、
「春は曙…」「いずれの御時にか…」「昔男ありけり…」「祇園精舎の鐘の声…」「つれづれなるままに…」「月日は百代の過客して…」「まだあげそめし前髪の…」「時は春、日はあした…」等々があります。
また子供のときに意味も分からず読んでいた「百人一首」のいくつかは、今でも浮かんできます。なかでも「ももしきの…」は「ももひきの…」に聞こえて(ちなみに私は戦前の東京の下町生まれで、「し」と「ひ」の区別は今でも自信がありません)、下の句が「なおあまりある」で始まるので、この一首を最初に憶えました。
余分な話はさておき、それらに比べて、今も机の上にある「星の王子さま」の冒頭はなんであったかは浮かんできません。これは黙読しているせいもあるのでしょうか。なお余談ですが、この原題の「小さな王子さま」を「星の王子さま」と意訳した内藤さんはものすごい人だと思います。
その他にも日本の文化には、わずか17文字で森羅万象すらも表現できる、俳句のようなものまであります。
こんな日本語の良さを、子供のときにしっかり学ぶことは、藤原さんではありませんが、非常に大切な気がします。
さてこのような日本語も、あと50年、100年経つと、どのようになっているのでしょうか。
Yという人が中央の役所から、地方の責任者として赴任してきました。するとかって彼が目をかけてその地方の有力者となったOという男が宿舎を訪ねてきました。そして周囲に人がいないのを見計らって、昔のお礼としてお金を Yに渡そうとしました。Yがそれを断ったところ、Oは「これは賄賂でもないし、今ここには貴方以外誰もいません」とあくまで金を手渡そうとしました。そこでYは「このことは天も知っている、地も知っている、貴方も知っている、私も知っている。どうして誰も知らないと言えようか。」と言って、受け取りをあくまで拒否し、Oはこれを恥じて引き下がりました。という話があります。
これは何もテレビドラマの水戸黄門の話なんかではありません。中国の古い書物、後漢書や十八史略にあると、我が国の広辞苑や大辞泉等にちゃんと書いてあります。
だから県知事や大臣になろうとするくらいの人物なら、この話を当然知っているはずですし、知っておくべきでしょう。なのに昨今のような事件が度々起こるのは、まさに天地(神)を恐れざる所業と言わざるを得ません。
しかし日本の方がまだましかもしれません。というのは、この話の本家中国では「四知」なる言葉が現在の辞書には載っていません。あの国で役人の汚職がニュースにならないのも、この「四知」が死語となっているのと関係あるのかもしれません。
近年、鹿や猿だけでなく熊や猪までも人里に現れて害をなすようです。人間が彼らの生態系を破壊してきたせいもあるのでしょう。
ところで税務会計に関係しているものの間では昔から本来の意味とは少し違いますが、「山より大きい猪は出ない」という言葉があります。この場合、山は利益、所得を指し、猪は税金、税額を指しています。従って「利益より税金のほうが大きくなることはない」という意味です。「担税力なきところには課税せず」という大原則からすれば所得より税額のほうが多くなることはあり得ないのですが、時には多くなるケースがあり得るのです。
その主な理由は交際費課税です。(他にも寄付金、役員給与賞与等の問題もありますが・・)現在の税制では会社の資本金が1億円を越しますと交際費は全額損金不算入です。資本金がそれ以下の場合は支出した交際費のうち400万円以下が10%、それを越した部分が全額損金不算入。
具体的に言えば資本金1億円以下のの会社が年600万円の交際費を使ったとすると、400万円以下が10%で40万円、それをこした200万円を足して240万円が損金不算入となります。だから会社の利益が100万円ですと課税所得は340万円になってしまいます。
仮に実効税率40%とするとこの会社の納める税金は340万円×40%=136万円となってしまいます。
どうです?山(100万円)に対して猪は136万円になってしまいました。
以上のようなことから最悪のケースでは決算は赤字でも税金がでる場合もあるのです。
まさに孔子が言う「苛政は虎よりも猛し」となります。
東海新幹線のパーサー(車内でワゴン販売をする人)に、徳渕さんという23歳の女性がいます。
この人の書いた「新幹線ガール」という本の一節にこんなことが書いてありました。
名付けて「接客にあたっての5A」
それは「あ」で始まる、
あたまにくるな
あわてるな
あせるな
あきらめるな
あてにするな
具体的には、
・お酒に酔ったお客様にからかわれても、あたまにくるな
・接客中に「あっついでにこれもください。あとそれも」と言われたときに、あわてるな
・自分が知らないことを尋ねられたときにあせるな
・自分に向いていないかもしれないけど、くじけそうになったときでもあきらめるな
・わからないことがあっても先輩に頼らない。ワゴンを押すときは一人なんだから自分で工夫したり判断したりする力を持つこと・・あてにするな
いかがですか?新人指導に役立つ言葉だとは思いませんか?
さらに私のような年寄りが5Aに付け加えるとしたら、今日も元気に働くことができて
「ありがたい」でしょうか・・。
血液型によるその人の性格判断みたいなものが若い女性に根強い支持があるようです。
ある社員の歓迎会の席で私の近くで大変もりあがってるグループがありました。聞くともなしに聞いてますと、これが血液型による人物批評みたいなものでした。話の内容にはなるほどどうなずく部分も多いので後日私も夜の某所でこれを試してみました。これは意外と効果がありました。こんなことなら若いときに実行していたら別の成果があったかもしれません。そういえば人事配置にもこの血液型の組み合わせを考慮する会社があった話も思い出しました。
そして極めつけは、娘の次の一言でした。「お父さん、O型の人にしかB型の相手は務まらないのだから色々あっても辛抱、辛抱・・・」う~ん、そういうことか。
もっとも娘は母親にはこの設定を逆にしてしゃべっているやもしれません。